タオの生き方

  
               
 

デリック・リン

 

使者は宮殿へ戻り、近隣諸国への伝達事項完了の報告をしました。「よくやった。」と王は労をねぎらいました。「旅の途中、何かおもしろいことはなかったか。」

「はい、陛下。何日か前、イン王国で夕食のために民宿に寄りましたときに、たぐいまれな武術実演を見ました。」

「民宿は改築中で、多くの労働者たちがいました。そのなかのひとりの年老いた大工が、ちょっとした不注意で石灰を鼻の上に落としました。それは鳥の羽のように薄い、ほんの少量の石灰でした。私は彼が単に鼻を拭くものだろうと思っていましたが、石工のひとりが「おい、お前の腕を試してみたくないか。」と言いました。

「石工は言いました。「もちろんだ!」彼は大きな斧を持ち上げ嬉しそうでした。彼は斧を持ち上げ振り回しました。私はそれを見て、この恐ろしい武器でこの二人はいったい何をしょうとしているのかと思わずにはいられませんでした。」

「もう2,3度振り回す練習をすると、彼は大工に尋ねました。「いいか?」

「大工は微笑み「いつでも。」と答え、悠々としていました。私はそれを見ていっそう困惑し好奇心をそそられました。」

「石工は軽く微笑んで答え、突然斧を振り下ろしました。私は飛びあがって驚きました。彼が友人の首を切り落としたと思ったからです。」

「大工は全く動きませんでした。斧は彼の真正面を通り過ぎました。石灰は吹き飛ばされましたが、彼の鼻はしっかりと顔についていました。彼の表情は落ち着き払い、呼吸も平常通りで、以前と同様リラックスしていました。」

「陛下、私は信じられませんでした。今まであのような斧の立ち回りの実演を見たことがありません。」

「すばらしい!」王は興奮して叫びました。「その石工を見つけ出して連れてきてくれ。それをこの目でみたいのだ。」

使者はこの任務に取り掛かりました。彼はその石工を見つけ連れ帰るために、民宿へ戻りました。粘り強い努力の末、使者は石工とともに宮殿へ戻ることができました。

彼らが宮殿に着くなり、使者は石工を王のもとへ連れて行きました。「そなたが伝説の斧マスターだな。」と王は言いました。「そなたの特別な技については聞いた。人の顔に薄く被った石灰をその人の顔を傷つけることなく落とすことができるそうだな。それはまことか?」

「はい、陛下。私は何年もその技を練習したのです。」

「すばらしい。」と王は言いました。「それを見せてくれ。もしうまくできれば、褒美を取らすぞ。」

石工は躊躇しながら、「申し訳ございません、陛下。私にはできません。」と言いました。

「何だと?褒美には興味がないと言うのか。」

「いえ、陛下。しかしながら、それができるのは私の相棒である大工とだけなのです。」

「よし、わかったぞ。どうして言わなかったのだ?では、その者をここに連れてまいろう。」

「陛下、それはできません。」石工の声には深い悲しみが込められていました。「私の相棒は亡くなったのです。残念ながら、あの特別な技は永遠に失われてしまったのです。」

私たちは荘子の話においてこの話が単に書かれている表面上のものだけでないことはすでにわかっています。荘子は人間の本質的観点を表現するために象徴と隠喩をここでも使用しています。

斧は人間の相互関係を表し、これは私たちがお互いにコミュニケーションを取り合うすべての方法を含みます。言葉、肉体的、精神的なコミュニケーションなどです。これを理解する簡単な方法は、斧を私たちが使う言葉として考えてみることです。

斧に鋭い刃があるように、私たちの言葉も人を傷つけることができます。ひとつの誤った行動が、人のプライドを傷つけ、何の気なしに人々を怒らせ、そのつもりもないのに他者を非難することとなりえるのです。

安全のため、多くの人は斧にカバーを付けておきます。私たちは礼儀正しい言い回しと非差別的な言葉で斧の刃を包みます。これは社会的状況においてはうまくいきますが、私たちがオ-プン、直接的かつ正直にコミュニケーションしようとする場合には、この防護手段も妨げとなることがあります。

大工は石工との彼の演技を特別な技と呼びました。これは個人的コミュニケーションは不明確で、それを正確にするのは非常に困難であると言えるからです。言葉は、異なった時代の異なった人々に対しては異なったものを意味し、意図した意味は、調子・ジェスチャー・顔の表情によって更に変化します。誤解が起こる多くの理由を考えると、個人的コミュニケーションがうまくいくというのはまったくの奇跡であるかのようです。それがうまくいき、私たちが他者と完全に理解しあえるような状況である場合、それは非常に特別なことなのです。

この特別さは、私たちが親友や愛する人とともに過ごすときに起こります。彼らの存在により、私たちは社会的常識を無視することができます。私たちは率直に話し、私たちの意図が完全に理解されると知っていることで安心することができます。パフォーマンスの準備ができたときに、石工が嬉しく思い、大工がリラックスしたように、この快適なコミュニケーションを思うだけでスピリットを高めています。あなたに近しい誰かと最期にかわした素敵な会話を思い起こしてみてください。その思い出があなたの唇に微笑みをもたらすことでしょう。

これは、私たちがお互い大切に思う人々とともにあるとき、私たちは大工と石工のようであることを意味します。私たちが親密な関係を築き、魂と魂のダイレクトな関係をつくるとき、一種の魔法が起こります。そのような関係を通して、彼らは私たちが何を考えているのかを知り、私たちは彼らの思いを知るのです。彼らはあなたの言いたいことがわかり、あなたは彼らが何を言おうとしているのかを予測できます。それはテレパシーのようなものですが、超自然的なものでもありません。それは簡単、単純かつ毎日の奇跡なのです。

この奇跡を起こすために3つの必須要件があります。ひとつめは縁です。縁はありふれたものではなく貴重であり、誰かと出会うときに縁が自動的に現れるというものでもありません。私たちのほとんどにとって、縁は気の合う誰かを見つける法則というよりむしろ例外です。大工が亡くなったとき、石工は大工に代わる者を見つけることはできませんでした。同様に、自然な縁を持つ人は私たちの人生において特別な役割を果たします。もし私たちがそのような人を捨て簡単に誰か他の人を探そうとするならば、それは大きな過ちです。

ふたつめの要件は、時間です。誰かを本当に知るためには時間がかかります。石工と大工は彼らの特別な技を磨くために何年も練習をしました。同様に、私たちは友情、もしくは、長い時間をともに過ごし多くの経験をともするという長い経過から培われた関係を育てる必要があります。自然な縁は良い基礎となりますが、私たちがその上に何かを建設しなければその恩恵はたいしてないのです。

3つめは最も重要な要件である信頼です。完全で完璧な信頼が、石工と大工が実演したものです。大工は石工が斧を失敗することなく性格に振ることを知っていましたし、石工も大工が突然動いてパフォーマンスを台無しにたり彼を傷つけることがないと信頼していました。この信頼の精神によって、ふたりは一緒にうまくできたのです。

同様に、信頼はパーソナルコミュニケーションにおいて最も重要な要件です。もし信頼がなければ、あなたはあらゆる言葉を細心の注意をもって発し、それでもなお意図することを伝達することに失敗するという経験をするでしょう。もし第三者があなたを信頼しなければ、あなたの発する言葉はすべて疑われ最も否定的な解釈をされ、どんな説明や釈明を試みても更に問題は大きくなるばかりです。

信頼があれば、すべてのことへの切り札となります。たとえあなたが適切な言葉を見つけられず、しどろもどろになっても、それは問題ではありません。彼らはあなたに言うでしょう。「大丈夫、何を言ったのかわかるわ。あなたが言おうとしたことはわかっているの。」そしてあなたは彼らが実際にわかっていることに気づきます。なぜならそこには素晴らしい信頼があるからです。

使者はパフォーマンスを信じられなかったと言い、王はそれは素晴らしいと言いました。これは他者との相互関係においての縁・時間・信頼すべての一致がありえないということを示します。もしあなたがすでにこの3つの要件を満たす人々を人生の中で見つけているのならば、彼らを信じられないほどの祝福であると思うべきです。

もしあなたがその特別な人々をあなたの人生から失うとしたらどうなるでしょう。縁又は信頼の不思議な要件を失わなくてはいけないとしたら、どうなるでしょう。石工が彼のパートナーの死を悲しんだように、私たちも喪失の計り知れない悲しみを経験することでしょう。心にぽっかりと穴が空いたように感じることでしょう。遅すぎてはいるのですが、私たちはその虚空を満たす誰かがいたという喜びに気づくのです。あたりまえに思っていたことを後悔するかもしれません。

手遅れになるまで待たない。これが荘子がこの物語で伝えたかった究極のメッセージです。あなたの親友や愛する人のことを考えてみてください。あなたの人生において彼らとともに時を過ごせるというたぐいまれな幸運をかみしめ、彼らとの真にあるがままの深いつながりを感じてみてください。それはマジッックです。

彼らにあなたがどう感じるのかを伝えてください。彼らにあなたが彼らの存在に癒されることが、どれほど幸せであるかを伝えてください。一緒に居るときはいつでも心地よく完全にくつろげることに感謝していると伝えてください。ずっと長い間あなたのパートナーでいてくれていることに感謝してください。何年もあなたとともに特別な技の練習をしてくれていることに感謝してください。その時その時の一瞬が驚くべきパフォーマンスなのです!

もし彼らがこの物語をまだ読んでいないのなら、彼らはあなたが何について話している内容の詳細を知らないかもしれません。けれども大丈夫です。彼らはあなたの意味することがわかります。何をあなたが言おうとしているのかがわかるはずです。そしてあなたはこのシンプルな認識の証人となるのです。タオの驚くべき奇跡として。