タオの真なる起源
 

デリック・リン

 

 

西洋と東洋の間にある言語、文化的障壁によって、タオに関する信頼できる正確な情報を見つけることが、しばしば困難なことがあります。誤解が多くあり、通常最も信頼でき、権威あるものであると考えられているものであっても、正確ではない場合があります。そのような誤解なかで恐らく最も重大なものは、タオの起源にかかわるものでしょう。

タオに興味を持つ多くの人々は、いまだに老子が2,500年前にタオイズムを設立したという印象を持っています。哲学的タオイズム(道家)又は宗教的タオイズム(道教)に限ってのみそのような事実がいくつかあります。けれども、ほとんどの人が気付かないことは、その異なったふたつのタオイズムは、中国人にとっては単にタオとして知られる更に古い伝統から来たものであるということです。タオは老子の生きた時から少なくとも2,300年前には始まっているという単純な理由から、老子がこの古代伝統の創始者であるということは不可能なのです。

彼らが古代中国の伝説的皇帝である黄帝に関することについて知ったとき、各々の洞察力によりこの真実を発見するかもしれません。ブリタニカ百科事典は老子を「タオイズムの創始者」と表記し、コロンビア百科事典は「老子は半神話的ではあるが、タオイズムの創始者として伝統的中国庶民文化に貢献している。」と述べています。

これは興味深いことです。なぜなら、黄帝は老子の生きた2,200年前である約4,700年前に生きたのです。黄帝は、タオイズムがその時点ですでに存在していたときにのみ、タオイズムの創始者となりえます。そしてもし、黄帝がタオを創立したことに関与しているのならば、老子は論理的にその役目を果たすことはできません。何世代もの間存在していた何かを創出することはできません。よって、タオイズムの根源としての老子に関するほとんどの西洋における参考文献は全く正確なものではありません。老子に宗教的タオイズム、哲学的タオイズムにおける功績があることを認めることはできますが、両者の起源となる原初のタオイズムに対してではありません。

他にも易経(変化の本)に手掛かりとなるものがあります。通常この本をタオイズムと関連させて考えますが、これも老子の2,000年以上も前にさかのぼります。老子や老子の時代に生きた人々にとって、易経は霊的智慧に関する古代書物であり、今日のキリスト教徒が聖書に対して抱くような光を見出すものだったのです。したがって、老子をタオイズムの創始者であると言うのは、キリスト教の創始者は現代のキリスト教徒であると言うのと同一なのです。

老子はいかなる創始者にもなろうとしなかったということに気付くことが重要です。これは老子が過去の修道者について語っている道徳経で明らかにされています。例えば第15章には、「古代のタオマスター」「古代の時代にタオをマスターした人々」という記述があります。この章は、すでに存在しているタオに老子は気付いているということと、敬愛するマスター―老子にとっての古代の人々、道徳経が書かれるまでにすでに歴史的人物であった人々―によって示された事例を見習おうとする意志を立証しています。

元来、道徳経はタオイズムの原型からの教えのコレクションとして書かれたものです。老子は系統的に理解しやすい構成でこれらの教えを紹介したのです。彼の作品はタオの修行に新しい命を吹き込み、活性化されたことから、その重要性を見過ごすことはできません。同時に、老子が無極、樸、自然のというような概念を発明したのではないということに気付くことも重要です。老子が最初に静、調和、洞察、無の重要性について話したのでもありません。

老子がタオの創始者ではないのならば、では一体誰が本当のタオの創始者なのでしょう。黄帝でしょうか?いいえ、違います。黄帝の1世紀ほど前に他の人がいました。伏羲です。西洋の文献には、彼がタオの創始者であるとの言及はありません。多分、そうなることもないでしょう。けれども、深く調査していくと、易経の三重文字(八卦、易経の64の六線星形の基礎)が老子に帰されていることがわかります。

伏羲が古代中国の伝説的皇帝の第一人者だったのです。伏羲の治世は中国文明のはじまりとなりました。そして同時にもたらされたタオの概念は、この古代のはじまりから中国文化の精神に影響を与えました。私たちは中国文化に接近することによってその証拠を見ることができます。この右の絵は、毛皮を身にまとった伏羲です。伏羲の下方の床には亀と八卦が描かれています。伝説では伏羲は亀の甲羅に現れる不思議な印から宇宙のしくみの基調を占ったと言われています。

下の写真は台南にある寶光玉山寺院の伏羲の像で、伏羲は三重文字に囲まれた八卦を持っています。伏羲は葉でできた原始的な腰巻を身につけています。これは毛皮を身にまとった絵と一貫性があります。なぜなら、その時代衣服はまだ発明されていなかったからです。黄帝の妻が絹を作る1世紀ほど前のことです。

他の寺院、寶光神威では、もっとわかりやすいタオの創始者としての伏羲の肖像を見ました。下の写真の右側は、同じく原始的な格好をした伏羲で、同じ八卦のシンボルを持っています。伏羲の像の上には、「第一代伏羲皇帝」と書かれた碑文があります。

伏羲に始まったタオの概念は包括的なものです。人生のすべてのことに適用され、宗教的、哲学的変動にも制限されることはありませんでした。すべての宗教、哲学は、単にタオの特定の表現なのです。私たちがこの統合されたタオを、最初の修道者がした方法で理解するとき、私たちの多くの区別、差別、分類分けが私たちをその概念の根本から遠ざけていることがわかります。

「お酢の味見」の話がこのいい例です。この話のなかでは、仏教、道教、儒教の人がそれぞれを比べます。この話はタオイストの観点から書かれていますので、タオイズムにもっとも光があてられています。これは4,000年前の賢者にとっては奇妙なことでしょう。なぜなら、彼らはその3つのうちのどれが優位であるかを考えるような別々のものとは考えず、単にタオを異なった角度からみたものとしか見なかったからです。

西洋でタオを学ぶと、翻訳をする途中で明らかに何かが失われています。あらゆるものを含むタオが、単なる多くのもののなかのひとつへと変わってしまったのです。私たちは老子のことは知っていても、伏羲のことは知りません。道徳経の教えを読んでも、それを形作った豊かな伝統については無知でいます。

これがこのウェブサイトができた理由です。サイトを訪れる多くの人々が思うような宗教的哲学的タオイズムについてのみのためではありません。宗教的哲学的両者のためであり、もっと奥深いのです。サイトの名前が示唆するように、このサイトは真なるタオに焦点をあてています。独占権を主張するようなものでもありません。けれども、私たちの強い願いと方向の宣誓としてのものです。

真なるタオの探求は、誤解があるときにはその誤解を解くために全力をつくすことです。私たちは、他からでは入手困難であるかもしれない正確かつ信頼性のある情報を提供します。私たちは、正真正銘の伝統であり、どこにおいても可能である真なるオリジナルのタオをお伝えするよう努力します。