「ゼン禅」とは中国語でいう「チャン禅」の日本語の発音です。「チャン禅」はインドサンスクリット語の瞑想を意味する「ドゥヤナ」という言葉を中国語に訳したものです。
タオと同様に禅も言葉で完全に言い表せるものではありません。禅の理解の多くはあなた自身の直感的洞察力に頼らざるをえません。ボッディダルマ(528AD)はこれについて次のように述べています。
ことばに惑わされることがなく、 経典を必要としない伝導とは、 心に直接向き合い、
本質を見、仏になることである。
この禅の描写をことばに表わして最も近いのは、以下のようなものかもしれません。
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禅は信念というよりも、態度、ふるまいである。
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禅は自分自身であるということよりも、本質と一体となるということから来る平和である。
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禅はあなたが世界や世界に存在するすべてのものと一体であることに気付くことを意味する。
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禅は現在を生き、この現実を完全に経験することを意味する。
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禅は物質世界における乱心や妄想的な争いごとから解放されることを意味する。
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禅は宇宙の流れにしたがうことを意味する。
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禅は現在をまっとうし、人生そのものの根本的奇跡を楽しむことを意味する。
逆説は禅の一部であり、禅の教えです。逆説はあなたの意識を型にはまったものからある方向へ向かうよう呼び覚まします。それはあなたを合理主義から離脱させ、直感的洞察力を鋭くします。論理によって型通りの結論をだすことはできないという真実をも示しています。つまり以下のようなことです。
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禅は無であるが、全てである。
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禅は空っぽであるが、満ち足りている。
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禅は全てのものを包み込み、全てのものに包まれる。
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禅ははじめであり、終わりである。
禅を真実味のない訳のわからないものだと片づけてしまうのは簡単です。そのような人々はスピリチュアルな成長をするレベルにまでまだ達していないのです。そうです、このようなことは急いでするべきことではありませんし、急げるものでもないのです。「Stranger
in a Strange
World」の主人公であるマイケル・バレンタイン・スミスは、「機が熟すのを待たなくてはいけない。待つことだ。」と言うことでしょう。
禅に取り組む準備のできている人のために、禅をうまく説明している物語がいくつかあります。