タオとは

デリック リン

タオ(中国語ではダオと発音する)とは、逐語的には「道」又は「方法」を意味します。タオは銀河の創造から人類の相互作用までのすべての基礎をなす宇宙的本源です。タオの働きは広大で、ゆうに人間の論理を超越しています。タオを理解するには論理付けのみでは不十分であり、直感的洞察力によって理解をする必要があります。

私たちのタオの学びにおいて、老子として知られる古代賢人によって書かれた道徳経(ダオ・ダ・チンと発音する)を教材として使用します。

老子の主要な教えは次のようなものです。

  • 争わない:老子は暴力と論争は、どんなにコントロールされていても物事の助けにはならず、否定的原因を引き起こす原因となるということに気づきました。タオイストの理想は平和的手段によって問題を解決することにあります。
     

  • 動かない:愚かなものは、全てのことをしようとして莫大なエネルギーと時間を使いますが、結局何も達成することなく終わります。別の周波数域においては、本当に賢いものは全く何もしていないようですが、すべてを達成しています。人がタオと向き合うとき、このマジックは可能であり、実際には、そうならないことは不可能なのです。
     

  • 意図しない:しばしば私たちは賞賛や承認を期待して有徳な行いをします。しかしそれは徳ではありません。本当の徳とは、意識的に努力をしたり考えたりして行うものではなく、そのような行いが自然に湧き出てくるものなのです。
     

  • シンプル:私たちの真実、存在の基本は本質的であり、複雑なものではありません。人間は多くの問題を、すべてのことを実際よりも複雑にして、自分自身でつくりあげるのです。もし私たちが自分自身の生き方をシンプルにすることを学べば、物質界で得るものよりもっと無限に意味ある深淵な確信を体験することができます。
     

  • 智慧:論理よって人間の行為は決定されますが、論理がすべてではありません。合理性や理論によって理解できることには限りがあります。これは知識に反するものとしての自己洞察への鍵であり、タオによって生きることとタオについて読むこととの違いなのです。
     

  • 謙虚:学べば学ぶほど、学ぶべきことがまだまだあることに気づきます。そしてあなたを謙虚にします。傲慢さや自己中心癖は、小を知り大を知ったと思ってしまう無知からくるものです。
     

  • 二面性:老子は、世界のすべてのものは、それに相反するものがあることによってのみ意味をなすと言っています。大きなものは、比較するとそれよりも小さなものがあるから大きいと言えるのです。同様に、善も悪が存在するからこそ善であるのです。一方はもう一方なしで存在しうることはないのです。

翻訳の問題

道徳経の英語の翻訳は数多くあります。けれども、ほとんどのものは不完全な翻訳や全くの間違いを含んでいます。例えば、中国語の「全て」又は「無数のもの」は、よく逐語的に「一万のもの」と訳されています。更にひどいものは、翻訳者によっては自分自身の考えや好みの概念を入れたりします。そのようなものの中には、高い地位のある学者によって書かれた本があることもあります。

これは古代中国語は現代中国語とはかなり異なっているため、古代中国語の解釈が困難であることによるものであり、中国語を母国語とする者でさえ特定の奥義の一節は理解が困難なのです。私たちはここに見直しをするべくすばらしい機会を得たのです。

皮肉なことに、私が見つけた最もすばらしい翻訳文はその古典の漫画翻訳です。多くの人は子ども用だと思ってしまいます。この中には真実からかけ離れたことは何一つありません。Brian Bruya  著「The Tao Speaks by Tsai Chih Chung」は道徳経を驚くほど正確に翻訳してあり、著者がいかに老子の言わんとしたことを深く理解しているかを表しています。この漫画と、Jerry Dalton  著「Backward Down the Path」をクラスで教本として使用しています。

タオイズムは宗教ですか?

タオイズムは宗教的な面を持ち合わせています。けれども、このサイトでは他の宗教と同一である哲学的な面に焦点を合わせています。例えば多くのキリスト教徒はタオイズムの概念を自由に探求することができ、有用であると思うことを自分自身の信仰に付け加えています。正しい又はより善い生き方を探求し学び、そして私たちを左右する主要なものを理解することによって、個人的に起こる事柄にうまく対処できるようにするというものです。